お母さんへの手紙
私はオカンと仲良くない。
私はいい歳こいてオカンに恨みすら感じていた。
オカンが私をお爺ちゃんに任せきりだった事、家の環境が最悪だった事、アニキと比べられてきた事、私はずーっと憎しみを抱えていた。オカンもそれを申し訳なく思っていた。
あなたには、何もしてあげてないから、何かしてあげたくて、産後の私の世話をする為に来たんだ、とオカンは言う。
産後のホルモンのせいで、何もかもが腹立たしく、オカンに辛く当ってしまった。
でも本当は、甘えられなかった分、甘えたくてしょうがなかった。産後わざとワガママ言って、ケンカふっかけたけど、本当の心の内は、オカンの事が大好きでしょうがないんだ。
大好きでしょうがないくせに、素直になれなくて、気付いたらオカンが帰る前日になってしまった。
オカンは産後10日しか居れなくて、最後の前日の昼、ゴハンを食べながら色々話しをした。というより、私の一方的な感じだったのだが。。。
私は、泣きながら、小さい頃の悲しかった出来事をオカンにぶちまけた。沢山あった。私は全部覚えていて、ずーーーと心につっかえていたんだ。
中でも一番つらかったのは、思春期の時、私の誕生日に、「私誕生日なんだけど」って言ったら、「へ?そうだっけ?」と言われた事だ。ショックで布団の中で、隠れて泣いたのを覚えている。
オトンとオカンはケンカをしない日が無かったんだ。そのせいで、愛し合って生まれた子じゃないんだって思っていた。
今でもオカンは「オトンにだまされたんだ」と言っている。
私は愛に飢えた子に育っていたと思う。大人になった今、オカンに愛してる?って聞いたら、我が子を愛してない親は居ない!と言い返された。
それは、私が親になったから分かる親の感情だけど、子供の頃の私は、「愛してる」と言ってくれない限り分かるはずもない。ずっと愛してほしかったのを覚えている。
妊娠前、たまに帰省しても、オトンとのケンカを見物しに帰るって感じで、私が間に入ると、とばっちりで苦しめられる事もあった。
「私が帰ってきた時くらい、ケンカしないでよ!」と、私は涙を流しながら自分の親に言うが、そのケンカはおさまるわけもなく、泣きながら見送られる事に。
東京行きの飛行機の中で、人目も気にせずシクシク泣いてスッチーに大丈夫かと尋ねられた事もあった。
私は、愛溢れる幸せを夢見ていて、自分の親の様にはなりたくないと思っていたし、自分が晩婚だったのは、親を見ていたせいで、結婚に魅力を感じてなかったからだと断言できる。
まぁ、昔の事を話しだしたら、一つの記事では書ききれない。
要するに、昔から愛してもらえなかった事を、大人になった今でも根に持っているのだが、産後わざと困らせる様な事を言ったり、昔の事をほじくり出して攻め立てても、オカンの事が大好きだよ。
という意味だ。もはや、自分でもこれを書きながら分かりずらいなぁ~と思っている笑 読んでくれている方、ゴメンネ
私は、親孝行が本当はしたいんだ。赤ちゃん産んで、これで少しは親孝行になったのかなぁとか思った。
でも、埼玉まで、産後の世話をしにきたのに、攻め立てられて酷い事をした。
あやまる?。。。素直になれないよ。
私は、夜、手紙をかいた。
本当は、オカンの事が大好きだという長文をしたためて、貧乏なのに頑張ってくれた事とか、本当はオカンに感謝していているって事をツラツラ書いて、オカンのカバンの奥に入れておいたのだ。書きながら涙が出た。
オカンは変わり者で、愛のない人だけど、オトンと出会っていなかったら、私は産まれていなかったけど、愛溢れる人だったのかもしれない。
働かないオトンは、私達を育てられないのにやたら愛を語る人だった。
朝ごはんも、晩御飯もない日々もあった。朝起きたらオカンがコタツで寝ていて、ただいま~って帰ってきたら、朝とまったく同じ体勢で、コタツで寝ていた。
白菜だけの鍋、うめぼしとゴハンだけの夕飯、今思えば懐かしいけど、仕事をするという選択ができないあの時のオカンには、精いっぱいだったんだ。
今の私は、そこまでじゃないけど、貧乏だ。
でも、我が子が、今の私のようになってほしくないから、毎日「愛してるよ」と言ってあげるつもりだ。
お母さんの事は尊敬してるし、大好きだけど、私の子供には、反面教師で育てたいと思う。
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